現代美術作家 大江慶之さんに聞いた「身近な鏡をのぞいて見えてくる、世界の観察方法。つくる根本に立ち返るには」
大江慶之さん
Yoshiyuki Ooe
現代美術作家
立体・平面作品を国内外で発表する作家、大江慶之さんの立体作品スタジオへ。大阪・枚方の住宅街、ガレージを改造したスタジオは秘密基地のような雰囲気。コンクリートの壁面には制作時のメモが貼られ、作業台の上には製作途中の大小のパーツ、道具や材料が並んでいる。それぞれのパーツ単体では見慣れた要素でも、組み合わせることで感じたことのない不思議な感覚を鑑賞者に与える作品を生み出す、大江慶之さんにとっての"つくる"を伺いました。
根本的に「つくることを楽しむ」に立ち返りたくて、立体を始めた
美術作家になられた経緯を教えてください。
大江
僕は大学時代、デザイン専攻だったのですが、在学中からデザインに興味がなくて、ずっと勝手に美術を勉強して絵を描いてました。絵画がしたかったんです。
金子
どのような絵画を描かれていたのですか。
大江
自画像です。まず、基本自画像をベースにした人物絵画を描いてました。アクリル画から始めて、最後のほうは油絵を描いていました。結構大きい絵を描いていましたね、学科の先生が許してくれて。デザイン学科の先生だったけど、先生自身が美術寄りの人だったから絵画を教わることもできました。今の仕事に就いたきっかけは特になかったですね、流れのままというか。
平面作品にとどまらず、立体まで制作の幅を広げようと思ったのはなぜですか。
大江
絵をずっと描いていたんですけど、何を描いたらいいか分からなくなって、根本的に「つくることを楽しむ」っていうことに立ち返りたくて、立体を始めたのがきっかけかな。その時期に京都のトランスポップギャラリーの山田さんが開いていた私塾に行きはじめたんです。トランスポップギャラリーへ行ってなかったら立体作品はやっていなかったかもしれない。絵が描けなくなっていた理由は、誰かの真似事をしている感じから抜け出せなくなって、何をやっていいか分からない、絵としても何が良いか分からない状態になってしまったからです。
金子
同じ私塾に私も行っていましたが、作家たちが1年間かけて作品制作に関わるあらゆることを学べましたね。多くの方が講師として来てくださって、自分自身と向き合ったり、作品制作を突き詰めていくような感じの授業が多かったです。作家や講師たちに揉まれる中で、つくることに立ち返るきっかけとなったのでしょうか。
大江
当時は、辛かったことの方が多かったですね。でも色んな人と出会うことによって影響を受けて、縛られていた自分がほぐれていく感覚があったし、限られたことだけをしていた自分から、つくることにもう1回改めて戻ろうと思いました。そんな時、別の貸しギャラリーに声を掛けてもらったんです。1人1個の箱を与えられて、その箱の中で表現する企画展に参加することになりました。その時はもう何の絵を描いていいか分からない状態だったし、箱の中に絵を入れても面白くないから、人間みたいな立体をつくりました。それが最初の立体作品ですね。立体作品を山田さんに見せた時に、山田さんが初めて褒めてくれて、そこから大きく変わった。立体作品をつくりはじめてから、世の中との接点が圧倒的に広がって、次につくる作品のイメージも湧いてきたし、真似事的なことから解放されたという感じもあった。自分自身、立体作品の知識がないところに居たから、制作に対して溢れてくるものがありました。ただ、つくりたい気持ちに自分の技術が追いつかないんですよ。そこからはどうやって技術的なことを習得しようかを考えていました。
立体作品は独学で学ばれたのですか。
大江
立体作品の初期は独学です。山田さんに、東京ビッグサイトでやっていた「GEISAI」に出してみたらって提案されて、立体作品を発表しました。「GEISAI」に出展して、コマーシャルギャラリーから声が掛かって、東京で作品を発表する機会ができて、今まで考えもしなかったことが起こりだした。自分の作品に付加価値が付き出して、売れるということを初めて経験した。作品が売れるという経験を通して、今の自分の技術や知識では質が低くて、このままでは駄目だって悩んでいるところに、造形の専門家を紹介してもらえて、今の立体作品制作の型どりやFRP成型をするところまで習得できた。その動きが数年で一気に起こりました。
金子
大江さんにとっていい流れがあったんですね
大江
超運がよかったですね。自分のやりたいことに協力してもらえる人と出会えたというのは僕にとって大きかったです。周りの人達に面白がってもらえたというのもあるかもしれません。
金子
大江さんのセンス、つくり込みが呼び寄せたんじゃないですか。
大江
本当に運が良かったと思っていますね。
自分とモチーフの間に、距離があるものはつくれない
立体作品のモチーフ選定はどのように行われていますか。
大江
基本、自分が関わったもの、身近なもので記憶に残っていることとかです。
金子
らっきょうを食べておいしかったら、らっきょうをつくるみたいな。
大江
そうそう。自分が感じた感覚を忘れられないから作品にする。僕はつくる時にモチーフの中に入っていけるくらいの没入感が必要で、自分とモチーフの間に距離があるものはつくれないかもしれない。
金子
例えば「政治」や「自然破壊」のような大きいテーマよりも、「旅行に行って綺麗だった」印象を作品にするとかですか?
大江
旅行の印象も遠いかもしれない。もっと日常に接している方がいいかもしれません。何が作品制作の引っかかる要因になるかは分からない。「戦争」「政治」から僕自身は影響を受けるけど、「戦争」「政治」自体を表現したいという感覚はないし、僕にはできないと思います。
金子
立体作品の初期は「体操服の男の子」「お花」や「虫」をモチーフにした作品が多いように感じましたが、制作当時は体操服や虫を近くに感じていたのですか。
大江
立体作品初期は、自分の幼少期の経験からモチーフを選んだのかもしれないかな。「幼少期に見ていた虫」をモチーフに立体作品を制作したけど、大人になって子供ができて、自分の立場が変わった状態で虫と接したり、飼育を始めたり。自分と虫との関わり方がアップデートされて、もう1回「虫」をつくり直してみようかなという感じです。
金子
そう考えると「虫」は長いテーマになっていますね。
大江
僕自身が意図した訳ではないけど、勝手にそうなっているのかも。ずっと接していると距離が近くなって気になるから、探求してみようっていう感覚だと思う。モチーフに没入していく感覚で掘り下げていくと、何かしら発見があるんです。
金子
制作する時に「今回のモチーフは何にしようかな」と日常の中から改めてモチーフを選択するのではなく、ご自身が最近ハマっているものを「作品にしよう」みたいに制作モチーフを選択するんですか。
大江
基本は気になっているものの数珠つなぎなのかな。何かをつくっている時に別のことが気になって、頭のどこかに残ってて。でも気になったものを、気になった順に時間軸でアウトプットしていくのではなく、その時々に合うものをつくります。常にネタがいくつか頭の中にあって、次に作品として発表するならこれがフィットするなとか。今の自分のテンション、技術的に今ならこれがつくれる、これをやってみたいっていう風に条件で優先順位が変わるから、頭の中から引き出すタイミングに合わせて、次に何をつくるか決めている感じです。
本当は能面とか鏡みたいなものがつくりたい
大江さんご自身と作品との距離感について教えてください。
大江
対象物と自分との距離は、最初は近くから始まります。イメージの段階では、モチーフに自分を寄せていく作業をする。でも作品が完成に近づくときには、自分とは離れたところに持って行きたいイメージがあって。作品のつくりはじめは、自分自身の気持ちや考えを押し込めるんですけど、鑑賞者に自分の気持ちを伝える作品をつくりたいわけではないんです。僕は鑑賞者が作品のことを好きなように、自由に想像できる余地を持たせるところまで突き放したいんです。
金子
大江さん自身と作品の間には、かなり距離がある感じなのでしょうか。
大江
本当は能面とか鏡みたいなものが作りたい。自分の作品を通じて「鑑賞者は鑑賞者自身と対話をすることになる」というところまで持っていきたい。自分の考えや、気持ちを表現したいわけではないですね。
つくることに関わっていられるようにしている
大江さんにとってつくるとは何ですか。
大江
一番悩むなぁ、その質問。つくることが基本的に好きなんですよ。だからつくることに関わっていられるようにしている。要は自分の好きなもの(つくること)をつくっているということなのかもしれないです。それは美術に限定しなくても、つくる喜びを知っているからその時に、良いと感じること、楽しいこと、やりがい、学べることがベースにあるからだと思う。たまたま自分が今、美術という業界で扱ってもらっているけど、自分を「美術作家」だとかの位置づけではあんまり感じていないですね。今後変わることもあるかもしれないし。
金子
つくることに関して、業界のジャンル、境界線みたいなものは感じていないってことですね。
大江
そうかもしれないです。自分の中でこうなりたいというものがないんです。美術をやっていくためには良くないですけど「ここが目標だ」みたいなのはないんです。
金子
自分が楽しいもの、好きなものをつくっていけたらそれがいいという感じでしょうか。
大江
楽しいだけじゃないけど、ちゃんと自分で間違えないように判断して選択してつくっていけたらいいと思います。選択を間違うことも多いけど。つくってきたから人と繋がっているし、その中で自分がつくるっていうポジションを与えられているし、僕にとってはやりがいとか生きがいに近いものじゃないかな。
金子
つくるっていうことに生きがいを感じてます?
大江
いや、しんどいです。でも自分がつくることに向いているというのは分かる。つくることがもちろん好きだし。でも「つくることが大好き」みたいなタイプでは全然ないと思いますね。
金子
つくっていて苦しいことや嫌なこともあるけど、大江さん自身がつくる役割、つくる立場にいるから、つくっているということですか?
大江
「自分がつくる立場の人間にたまたまなれた」という感覚が近いかもしれないです。
つくるに欠かせないと感じている要素はありますか。
大江
酸素とか。
金子
小学生がよく言うやつですよね?
大江
つくるには生きていけないと。
金子
それはつくる前の話ですね。
大江
その次は気持ちです。作品制作に限らずつくる目的が変わったとしても、つくりたいと思ったらつくるし、つくりたくなくなったらつくってないし。
金子
ご自身の気持ちが大事ということでしょうか。
大江
そうだと思います。「それは今やらない方がいいよ」っていう状況でも「それでも自分はやるんだ」みたいな追い込み、追い込まれがない。過酷な状況下だと、まず生きていかないといけないじゃないですか。自分はそういう窮地に立ったこともないし、「それでもやる」っていうところに自分がいっていない。だからこうなりたいというものがないからじゃないのかな。野心みたいなものがあまりないのかもしれない。「絶対売れて人気者になって、こうなるんだ」みたいな像が自分にはない。
金子
なりたい自分像、あるべき姿論みたいなものがないということですか?
大江
自分がなりたい画が見えない。なんとなくお金持ちになれたらいいなとか、そんなのはあるかもしれないけど。でもそれが絶対かというとよく分からないです。お金持ちになることが目標ではないから。
はじめの高揚感をどれだけ持続させられるかが重要
つくる時に何からアイデアを得たり、ヒントにしていますか。
大江
これ、とは限定できなくて、自分に関わるもの全てだと思います。その辺にある何気ないもの、音楽、映像、人との会話、誰かの作品でもあり得るかな。作品のために利用できないかという意識は常にあるかもしれない。何気ないものでもちゃんと拾おうとか、気になったことを考えるとか、綺麗な物、人に言われた言葉、ラジオから流れてくる音楽、日常に関わるもの全てから拾う作業をしています。結構そういうことで「ハッ」とすることが多いから意識はしてますね。何も無駄ではないと思います。
つくることを通して何か得られたことはありますか。
大江
人と関われることとお金を稼げたこと、大して稼いではないけど。社会との繋がりみたいなものを得られたのが、自分にとっては大きいかな。得られたものはたくさんありすぎて数えきれないですね。
つくることを通して感情面での変化はありますか。
大江
常に感情は揺さぶられています。しんどい、楽しいとか、感情がころころ変わって繰り返す。何かをつくる時、すごいアイデアが浮かんできたときは高揚感があります。はじめの高揚感をどれだけ持続させられるかが重要だけど、実際にやりはじめたら思ったようには上手くいかなくて絶望的になります。でも楽しい記憶が残っているからつくり続けるんだと思う。楽しさを感じる回数は少ないけど、しんどさよりも楽しさが重要なウエイトを占めているから。つくることを続ける理由として、どう考えてもしんどいことの方が多いけど、ちょっとの楽しさや嬉しさが大きく影響していると感じています。
金子
快楽を得たくてつくっているみたいな感じでしょうか。
大江
そうですね。ドーパミンとかそういうことなんじゃないかな。辛いのに何でやってるんだろう、でも何故かやってしまう。何かは分からないけど、脳内物質とかが影響しているのかな。
絶妙によく分からないビジュアルを提案したい
大江さんを取り巻く環境や未来について思っていることはありますか。
大江
明るいことが今は言えないような時代になっている気がします。楽観的に生きていても、シビアに考えて行動がとれた方がいいのかなとか。適当では済まない世の中になってきていて、今までの日本ではなくなりそうな気がしています。
今、制作中の作品は何をテーマにつくられているのですか。
大江
「何の場面なの?」って思わせておいて「何の場面でもない」みたいな感じ。どうとでも捉えられるような、そういう作品。結局は人間を表したいのかもしれないです。「人間模様ってこんなもの」を自分なりに表現できたら。「滑稽な感じ」って、僕よく使うんですけど、滑稽な人間模様をあまり人がやらない方法で表現したい。
金子
見る人によっては「これはもう将来の日本の姿だよね」と言うかもしれないし、「私たちの夫婦関係によく似てる」って言う人もいるということですか。
大江
そう。「もはやエイリアンです」とか、どう捉えられてもいい。だからといって、残酷性だとか暴力性を出したいわけでもなくて、絶妙によく分からないビジュアルを提案したい。数秒で認識できて、通りすがりでも「今の何?」みたいに意識の中に入り込む印象のものをつくりたい。その感覚を与えられれば、まず成功の第1歩というか。
大江さんのつくったものがどのような影響を与えているか、経験や感じたことはありますか。
大江
海外の方は作品を見たときの反応が自然というか、自分の感覚で作品の善し悪しを決めている気はします。情報が先行していないから、自分の気持ちで作品を見て、感想や意見を言ってくれる。好き勝手に作品と接してくれているような感覚はありますね。
金子
国内での作品発表時は、情報が先に頭に入っているなって感じる感想を言われることが多いですか?
大江
文化が同じということもあるし、美術の流れ、流行りや傾向の中で位置づけて見ているような気はしますね。情報のフィルターを通して作品を見ている人が多いなと感じることが多々あります。
金子
直感的な素直な意見の方が言われたら嬉しいですか?
大江
素直な意見の方が、気付きは多いです。作品とその人が対話している状態に近いのかもしれないですね。海外での発表の時の方がニュートラルな感想をもらえることが多い気はします。
今後つくってみたいモチーフはありますか。
大江
ハエですね。具体的な完成イメージはできているけど、技術的にも時間的にも厳しくて、今までは断念していましたが、実現したいですね。
金子
次の展覧会で時間が許せば、見られるかもしれないですね。
大江
そうですね。でも作品を公開するタイミングも重要で、世の中の空気感と調和するかどうかを自分なりには考えてます。「この作品を今の世界の空気感の中で見てもらいたい」ということも考えるし、この作品を今のタイミングで発表すると「世の中からはネガティブに受け入れられてしまうかな」とも考えます。作品を軽やかに受け入れてもらえたらいいけど、変に重たさだけが印象に残ったら辛いし、作品を重たく捉えられることは僕が望むことではないんです。このタイミングでこの作品を発表したら勘違いされがちとか、政治的な意味に捉えられてしまうとかは、世の中の流れと連動している気がするので、偏った印象に捉えられないように気を付けて発表していますね。
金子
作品が公開された世の中の流れと、作品を繋ぎ合わせて見るのも面白い鑑賞方法かもしれませんね。次の作品が楽しみです。
手芸についてどんなイメージを持っていますか。
大江
実用性のある温かいもの。手垢が付いているものというか、味があるもの、手作りの良さが残るもの。僕は温かみのあるものに憧れるし、手作りで温かみのあるものを作っている作家さんに惹かれるし、自分もそこにいきたいなっていうのはあります。自分は温かみを感じられるものとは違うものをつくっている気がしていますし、向かうべきところがあるとするなら、そういう感じのとこに行けたらなって。つくったものに温かみがあるものに憧れるし、あざとくやるんじゃなくて素直にできる人が一番いいなと思いますね。
かっこいいと思う手芸道具はありますか?
- ミシン、ファスナー基本的に全部かっこいい。
好きな手芸の素材はありますか?
- 藍染めしたもの変化があるから
つくっている時のお供はなんですか?
- 感情必要な感情を間違いなく選べれば相乗効果がある
大江 慶之 Yoshiyuki Ooe
大阪在住。平面・立体作品を国内外で幅広く発表。ごく身近にあるモチーフを組み合わせ、独自の世界観を作り上げている。ペットはスッポンのぽんちゃん。趣味はスケボー。
http://ooe-yoshiyuki.com/ https://www.instagram.com/ooeyoshiyuki/聞き手:金子
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)
手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。
編 集:渡辺
手芸初心者。
あらゆる手芸を少しずつかじって楽しんでいる。