つくるを考えるインタビュー

大阪錫器株式会社 今井 達昌さんに聞いた「職人の手で形作られる錫の道具、最短距離で進めるための回り道の大切さ」

らくだ坂納豆工房

今井 達昌さん
Tatsumasa Imai
大阪錫器株式会社 代表取締役社長

とろとろとした自由に形を変える液体が鋳型に注がれ、幾人かの職人の手を通り、道具へと形を変えていく。大阪の伝統工芸品、錫の器で飲むとお酒がまろやかになり、一般的な金属製品とは違うイメージを持つ錫製品。所狭しに商品や型、道具が並び、どこに視線を向けても興味深い。効率よく、かつ丁寧に仕事を進めている幅広い年齢の職人たちがいくつもの製品を生み出している。大阪錫器株式会社の代表でもあり、現役の職人でもある 今井 達昌さんに"つくる"について伺いました。

※内容は取材当時のものです(取材日 2024/1/19)

冷たい金属とは違って手になじむ

今井さんが考える錫製品の魅力を教えてください。

今井

錫という金属は金属の中では柔らかく融点が低いんです。融点230度、家でてんぷらを揚げている油よりちょっと温度が高いくらいで溶けます。落としたりしたら簡単に変形するんですよね。それのどういうところが良いのかなというと、手で持った時に、堅くて冷たい金属とは違って手になじむ感覚のある素材なところが、錫の面白いところかなと。

錫の特徴は他にもあって、科学的に証明されたものではないけれど、錫の器にお酒を注ぐと、お酒の味が丸くなるといわれています。おそらく錫が反応して、お酒の中の苦みや辛みが和らぎ、角がとれて飲みやすくなるという理屈なのではないかなと思います。もう1つの特徴は、水が腐りにくくなる。ガラスや焼き物の花瓶と、錫の花瓶に花をいけて比べると、錫の花瓶の方が長持ちします。1週間くらいは違うんじゃないかな。

錫を鋳型(いがた)に流しこむ

錫を鋳型(いがた)に流しこむ

錫製品が大阪の伝統工芸品となった経緯を教えてください。

今井

日本の錫の加工技術は遣隋使や遣唐使の時代に日本に伝わったといわれています。奈良の正倉院には錫の薬壺や茶壺が残っていますから。公家社会で使われながら、茶壺からお茶やお酒の道具に変化していきました。錫の杯にヒ素系の毒が入ったお酒を入れた瞬間、ねずみ色に変色するんです。だから公家社会では安全確認の手段として錫の器は使われていました。

江戸時代になるとお公家さんの力が弱くなり、職人を抱えていけなくなりました。当時から錫は輸入もされていて、国内で採れる量だけでは製造量が賄えてはいなかったんですね。京都の近くには、経済物流中心の大阪があった。1600年代の後半に京都から大阪に移っています。江戸中期の終わりには、京都と大阪の生産量が逆転、そこから大阪が錫器の一大生産拠点になりました。古くは京都に始まった技術ですが、大阪だけが産地としての規模があったので、大阪の伝統工芸品として指定を受けたということです。

大阪錫器「急須、千呂利、ぐい呑、タンブラー」

大阪錫器「急須、千呂利、ぐい呑、タンブラー」

お前らがつくられへんものをつくってやる

職人の道に入って変わったことはありますか。

今井

僕たちの世代が職人の道に入った頃は、先輩が後輩に対して容赦なく接するのが当たり前、厳しく叱られたり辛辣に指導されたりすることが普通でした。昔は家でやっていた仕事なので、子どもの時から錫には触れていましたが20~30年以上やっている人間と、本格的な道に入って1~2年の人間が勝負できるはずはないんです。当時の僕は「お前らがつくられへんものを絶対つくってやる」と思いながら日々やっていました。

プロの世界は、その人にしかできないことを身に付けたら先輩も後輩も同格になるんです。分業といったら大げさかもしれませんが、チームでリレーのように品物をつくる時に、全ての技術で先輩を越えることは難しい。でもどこかに僕が入らなければ、会社の中で一番グレードの高い品物がつくれないという状況になった瞬間、先輩も僕を認めざるを得ないということになるんですよね。だから自分だけの技術をどう身に付けるかを追求したね。

「富士山 ぐい呑」の製造過程

「富士山 ぐい呑」の製造過程

現代の暮らしに合わせた伝統工芸品をつくる時に、大切にしていることはありますか。

今井

僕の考えでは、伝統工芸品は止まったら終わり。止まるということは、その時代に需要を見いだせなくなるということ。錫製品をつくることは道楽でなく、僕たちは錫製品をつくることで生活しています。自分がどれだけ気に入ったものをつくっても、お客さんが使ってくれないものは意味がないでしょう。だからこそ「昔からある錫の道具を、現代の暮らしの中でこんな風に使われたらいかがですか?」という提案も含めて、ものをつくらないといけないんです。

見た目が奇抜なデザインを優先してモノをつくるというのは、面白いものができるかもしれない。でも、面白いだけではなく使い勝手が良いかどうか、道具として使えるものかどうかを重要視しています。

左より 大阪錫器「千呂利 初瀬、平盃 なわめ、平盃 うたげ」

左より 大阪錫器「千呂利 初瀬、平盃 なわめ、平盃 うたげ」

お前がここまでやるなら、俺はここまでやる

様々な会社や職人の方々と協業して感じたことはありますか。

今井

コラボといっても一緒に飲みに行って、ワイワイいっている間に「何かしよう」となることが多いですね。皆、僕の想像を超える仕事をしてくれるメンバーばかり。僕よりも格上のメンバーが何人もいて、各産地の伝統工芸士会の会長やそのOBです。困るのは「お前がここまでやるなら、俺はここまでやる」っていってくれて、つくる時に売値のことは考えていない。
今、漆を塗るにしてもプライマーで下塗りをすれば、ガラスや金属に漆がのるんです。一緒に仕事しているメンバーは皆、好きにいってくれて面白いですよ。「プライマーって接着剤やろ?それだと保証はせいぜい15年。伝統工芸品が15年の保証でええんか?」と。「ちゃんとした技法で手順を踏んでやらなあかんのちゃうか?」といった具合です。下地を合わせるだけで半年、そこから何度も試行錯誤を繰り返します。そのおかげで、本当に良いものができて、よそでは真似できないものが生まれるね。

製造途中の急須、ここから漆で加色する

製造途中の急須、ここから漆で加色する

伝統工芸を受け継いでいくために、若い人との関わりで感じることは。

今井

「その線面白い」とかは若い人の方が出てくるね。後はギャップ。僕もあちこちに首を突っ込んで、感覚が固定化されないようにしているつもりだけど、プロの世界で生きてる人間やから、若い子とはちょっとずれてる。今の若い子たちが思う「これが良い」が僕らにはわからないことがあるね。
大学の非常勤講師を20年以上やらせてもらったけど、学生たちに教えに行くと同時に自分の勉強にもなる。長年やり続けると、どうしても最短距離で方法論を考えるようになってくる。でも学生のデザインというのは、ワケのわかないことを平気でするね。そのデザインを実現可能にするのが僕らの仕事で、自分の過去の引き出しを開けることで復習ができる。復習を繰り返すことで、技術の幅が広いままでものをつくり続けていけるんです。若い子らに教える時でも、昔と今のつくり方の違いや道具の違いを説明して、仕事の進め方、考え方も説明する。こぢんまりとやっていた仕事を、道具を増やして複数同時にやる方法とかね、そんな風に伝えていってます。

大阪錫器「タンブラー はっぱ」

大阪錫器「タンブラー はっぱ」

伝統工芸品をつくり続けるため、どのような工夫をされていますか。

今井

伝統工芸品をつくり続けるためには、時代が変わっても需要がある物じゃないと駄目だし、伝統工芸品をつくる規模、販売するための規模も必要になる。
今、伝統的工芸品として日本で指定されているものは230品以上あるけど、まともに成立していない産地もいくつかあります。昔からつくっていたから、つくり続けますというだけでは、伝統工芸として生き残っていけない。
昔は問屋さんが注文をくれていたけど、問屋さんが注文をくれる時代は終わっていて、問屋さんが売ってくれる時代じゃなく、問屋さんに売ってもらう時代。僕たちから提案していかないと、売り場は縮小されるし、売る場がなかったらつくる人の数も必要なくなりますよね。伝統工芸士という肩書きの職人たちも兼業でやっている人が、結構多いです。

目と耳でつくるを考える

そう簡単に負けはしない

今井さんにとってつくるとは何でしょうか。

今井

つくることは仕事でもあり、同時に好きなこと。それとこういういい方が適切か分からないけれど、周りに勝つための方法。僕が書く文章なんて小学生か中学生くらいのレベルのもの。でも錫で僕がものをつくればそう簡単に負けはしない。
うちでは「下の者に教えろ」といってます。「下の者に教えたら、その仕事は下の者に任せて、次の仕事をやってもらわないと」と。うちの会社はベテランクラスの職人でもずっとステップアップが求められる世界。僕が若い連中にいうのは「やり方を理解して、手順が体にしみついて初めて物がつくれるわけで、君らがそれを覚えている間に、俺は一歩でもまた前に進むよ」と。僕が100、若手が1でスタートしているとして、もし僕が死ぬときにその差が100対99になったとしても、1でも勝っていたら僕の勝ちだからね。たまに現場へ行って若手と一緒に仕事をして「やっぱり社長には勝てないな」と思ってもらったら、偉そうにいえるからね。

工房内

工房内

つくる時に欠かせないと感じているものはありますか。

今井

国内で錫の器をつくっているところで材料の内容を分かった状態でやっているのは多分うちだけじゃないかな。入ってきた材料を自社で合金から管理して、錫に何を混ぜれば硬くなる、逆に何を混ぜれば柔らかくなる、という状態から調整してます。極端にいったら、錫って普通は金槌で叩いたら響かないような柔らかい金属。それが「かーん!」と響くくらいの板をつくることも可能です。錫の材料として600種類以上の合金の研究をしています。基本的には鉛が入っている材料と入っていない材料の2パターンですが、特別な相談をされた時にも対応できるようにしています。形が変わったら、材料の強度も考えないといけないからね。

製品になる前の錫、溶かされ製品がうまれていく

製品になる前の錫、溶かされ製品がうまれていく

スカッとあげていく

つくる時に一番大切にしていることは何ですか

今井

事する時は手を抜かずに精一杯やろう。で、早く終わらせて遊びに行ったら良いと。早い=雑い(ざつい)じゃなく、一定の水準を満たす仕事をいかに早く終わらせるかということを心がけると良いんじゃないかなと。1つのものに同じ工程を何回も通すようなことをしたら無駄ができるし、ひねくり回すと、ろくなものができないからスカッとあげていく。それに対応できる技術を身につけています。だから、手を抜くんじゃなくて、きっちりとした仕事を早く短い時間でやる。職人は自分がものをつくっていく仕事、でもしんどいのは嫌いだし楽にしたい。でも楽にする=手抜きはダメ。一定のクオリティを保ったものを極力楽につくるようにしましょうねというのが僕の考えです。
当然ご飯を食べるために仕事をしてるんだから、最短距離でやるというのは当たり前のこと。最短距離でできない場合は回り道をすることになるけど、その回り道できる技術を身につけていなかったら、最短距離でできる商品しか生まれなくなるね。そうなると今の工業製品と一緒で、これはできて、これはできない」となる。でもうちは「錫でつくるものは何でもつくれます」と平気でいってますけど、やはりそれをいえるだけの技術を持っているつもりです。

1000を超える鋳型がある

1000を超える鋳型がある

つくることを通して、新たに理解したことはありますか。

今井

ふとした時に「こうしたら面白い」「これできるかな」と思いつくことはよくあります。その中で商品化できるかどうかを判断してます。だから商品化していないものも、色々な技術を蓄えているよね。皆がよそではつくらんやろうというようなことはやっているね。

つくることで感情の変化はありますか。

今井

腹立ってものをつくっている時もあれば、機嫌良くつくっている時もある。その時々で色んな感情でやっているけど、つくったものに感情の差が出たらまずいんじゃないかな。どんな感情でも同じレベルのものができるのがプロだと思いますね。居眠りしながらでも、腹が立っていても、ワイワイ喋りながらでも、手は同じ作業をしないといけない。動きに無駄があったら時間がかかるから、同じ動作を最短でできるように体に浸み込ませてるね。

つくることで何を得られますか

今井

1つは自分の生活。あとは自己満足。僕がつくっていて面白いと感じる時は、同業者のプロでもつくり方が分からないものをつくる時。特許も取ってないけれど、つくり方はブラックボックスで誰も真似できない。
僕の波の模様を表現した「さざなみ」のタンブラーを発表した時には、大阪の業界中から「どうやってつくっているのか?こんなことはできるはずがない」といわれましたね。伝統工芸品は技術に対して規制があるけど、僕らの場合は鋳型の材料に関してはそこまでの規制がないから、つくるための道具を進化させ続けてます。

大阪錫器「花瓶 さざなみ(小)」

大阪錫器「花瓶 さざなみ(小)」

今井さんがつくったものが他の人にどのような影響を及ぼしていると思いますか。

今井

錫が生活のシーンの中に取り入れられる数は増えたと思います。それははっきりと自信を持っていえると思います。
大阪の錫が伝統工芸品として指定受けた時には7社か8社はあったと思うけど、今はもっと減っています。伝統工芸品は国の指定のマークがあって、大阪錫器でつくっている製品はほぼ、伝統工芸品のマークがついています。やっぱりそれをやっていこうということは、責任を持っていかないといけない。だから「昔つくったものだから知りません」とはいいづらい。自分のところの商品は特に責任を持たないと。30年前に買われたものでも修理の依頼があったら「なんとかします」といえないと。つくられた当時と同等の技術を今も持っているようにしています。その技術を使ってつくるのが、今の製品のなかで2%しか使わない技術だとしても、その技術は会社の中に残しています。おじいちゃんの時代のものも、つくれないといけないんじゃないかな。伝統って繋がっているから伝統だからね。

ひとつずつ急須の口のバリをとる

ひとつずつ急須の口のバリをとる

左:バリ取り前、右:バリ取り後

左:バリ取り前、右:バリ取り後

今井さんの取り巻く環境や、キャリアについての展望はありますか。

今井

普通の世の中でいうと、もうぼちぼち引退の年だから「若いものに任せてください」といってくれる人が出てこないかと思いながらも、生きている間はやるけどね。
今後の展望としては若い連中がまともに食べていける世界になったらい良いなと。変なことをしなくても、まともに製造で生きていける形を残しておいてやれたら良いなと。
どうしてもその時だけよかったら良い。自分だけが良かったらいいということをやると、後で必ずしっぺ返しが来るから。皆で生き残っていこうという感覚でやれるところが周りにいてくれると、皆で生き残っていける。もうお互いさんというやつだね。

社内には、製造中の製品が所狭しと並んでいる

社内には、製造中の製品が所狭しと並んでいる

手芸についてどんなイメージを持っておられますか。

今井

手芸というのは家で何かをつくることだと一般的には認識されていると思います。伝統工芸の仲間にも京都の西陣や友禅、滋賀の近江上布や鳥取の弓浜絣をやっている人もいるけれど、伝統工芸が一般的に使いやすくなったものが手芸という分野に入ってきているんじゃないかな。
手芸も結局はものづくりなので、それを突き詰めていったら、プロの世界の技術に繋がっていくと思いますよ。ものづくりに境界をつくるとややこしくなるんじゃないのかなと。DIYにしても、結局自分でできる範囲は限られているし、その先にプロの技術があるってことなんじゃないかと思うね。

金子

本当におっしゃる通りです。手芸の中にクラフト系のものも含まれたりもしますし、DIYとの境目もはっきりとは分からないですね。境界線を引かないという考え方をなんだか心強く感じました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

かっこいいと思う手芸道具はありますか?

  • 気にしたことがない道具は自分でつくるもの

好きな手芸の素材はありますか?

  • 金属製のもの一番身近

つくっている時のお供はなんですか?

  • 若い子とにかく見せて技術を伝えておく
今井 達昌さん

今井 達昌
Tatsumasa Imai

現代でも使える伝統工芸品をつくりつづける「大阪錫器株式会社」代表であり、現役の職人。1999年に伝統工芸士の認定を受け、2012年「現代の名工」に選出された。波の動きを表現した模様「さざなみ」を開発し、多くの賞を受賞。ゲーム好き。

http://www.osakasuzuki.co.jp/ https://www.instagram.com/osakasuzuki/ https://www.facebook.com/profile.php?id=100063971196391

聞き手:金子
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)
手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。

編 集:渡辺
手芸初心者。
あらゆる手芸を少しずつかじって楽しんでいる。