にじゆら/ナカニ 中尾弘基さんに聞いた「ものづくりが自分の居場所をつくるということ」
中尾弘基さん
Hiroki Nakao
株式会社ナカニ 代表取締役社長
大阪・堺市中区毛穴(けな)。石津川に沿って江戸時代に和晒(わざらし)業が興った地域では、今日もいくつもの注染・和晒工場が操業している。2019年11月に国の伝統的工芸品にも指定された「浪華本染め(注染)」の工場として、自社で手ぬぐいブランド「にじゆら」も手がける株式会社ナカニ代表取締役社長中尾弘樹基さんに"つくる"を伺いました。
工場も見ないまま入社
どういった経緯で注染(ちゅうせん)工場の3代目になったのでしょうか。
中尾
うちの奥さんとは大学生時代からの付き合いで、卒業後はそこそこの大手企業で4年勤めていたんですが、結婚を機にこのナカニという会社に入らないかという話になって。奥さんも先代(現・会長)もとても魅力的で、その人達がやっている仕事だったら面白いかなと思ったので、一切、工場も見ないまま入社をしたんです。
入社後は自社ブランド店舗の展開、商品の販売などを主に手がけてきました。だから染色屋の3代目ですけど、職人の修業はしていないんですよ。
金子
入社されてから意識が変わったことや、見え方が変わったことって何かありましたか。
中尾
入社当時はむちゃくちゃ大変で、何でも自分でやらないといけないというギャップがありましたし、同じものづくりをしている会社でもこんなに感覚が違うんだなという衝撃がありました。(前職の)製造メーカーでは工場は離れていて、しかも海外営業で仕事をしていたので、ものをつくって売っているはずなのに、そういう感覚はあまりなくて。いまも経営者としての仕事が中心ですが、自分たちでものをつくって売る感覚は前職に比べると濃く感じています。
手仕事だけど量産できる
中尾さんから見た注染の魅力、注染だから表現できることは何でしょうか。
中尾
注染の面白いところは、染色という手間のかかる手仕事でありながら量産していける、しかも出来上がった手ぬぐいが本当に綺麗なんですよね。
1枚ずつじゃなく生地をふわっと50枚重ねて、上から一気に染料を注いで染めていくんですが、ちょっと染料を掛け間違えたらアウトですし、集中力が切れてうまく染まらなかったりして。 効率はいい一方で、失敗したら全部ダメになる、だからって丁寧にやっていたら量産にならない。たぶん職人は「どうせえっちゅうねん(どうしろって言うんだ!)」って思っているはずです。 でも、そういうハチャメチャなところが大阪らしいというか。
昔から今も受け入れられている、手ぬぐいの魅力とは何だと思いますか。
中尾
どうして今も使われているかといったら、生活必需品というより雑貨に近くなってきているからじゃないかと思います。
かつては身体を洗う、机を拭く、雑巾の代わりにも手ぬぐいが使われていましたけど、タオルができてからは需要が減って。それでも高度経済成長期の時は、銀行とか酒屋とかで手ぬぐいに名前と電話番号を入れてチラシの代わりに配られていました。そうやってこれまでも、手ぬぐいは時代に合わせて使われ方が変化してきたんです。いまは昔ながらのシンプルな和柄じゃなくて、若い女性の方が好まれるようなデザインが増えていて、インテリアのファブリックとして使われることも多いです。たとえばクリスマスツリーや端午の節句、雛祭りの飾りとか、家のスペース的に置くのが難しい物の代わりに、その柄がデザインされた手ぬぐいを壁に飾ったりするような使い方とかですね。
デザインから販売まですべて内製だからできること、強みは何でしょうか。
中尾
注染のデザインは線の太さや配色など、技術が分かっていないと難しくて、図案をただ注染用に落とし込むだけでは、あまり良いものにならないと思うんです。
うちは社内に注染のことをよく分かっているデザイナーがいて、職人と話し合いながら進めていくので、良さを最大限に引き出すことができるのは強みだと思いますね。デザイン・型・染め・生地のカット・検品、さらに販売までやっているので、お店の商品を出した時の反応もデザイナーにまで情報が入ってきて、そういったお客さんの声まで聞けるというのもメリットじゃないかなと思います。
大阪生まれ、堺育ち
注染は堺が発祥なのでしょうか。
中尾
大阪発祥ですが、実は堺ではないんです。明治の後期に第5回内国勧業博覧会という万博が大阪で開催されて。そこで大阪の天王寺にあった染物屋さんが、浴衣の長い生地を蛇腹に畳んで一気に染めていくという手法を出品して賞をもらって、そこから全国に広まっていったというのが注染のはじまりです。
当時は大阪の淀川河口付近に工場があったんですけど、のちに戦争で焼けてしまって工場が南に移動してきたというのが、堺の手ぬぐいの歴史なんです。だから「大阪生まれ、堺育ち」ですね。
この辺りはもともと綿花畑があったので、その綿を糸にしてから生地にする工程で、糊やゴミを取り除いて生地を真っ白にするための「和晒(わざらし)」という作業をする工場がたくさんあったんです。全国の浴衣や手ぬぐいの生地の9割は一回堺を通っている、と言われるぐらい、いまも晒の工場は多いですね。
次世代に技法や文化を継承していくために、どういう取り組みが必要でしょうか。
中尾
手ぬぐいってイベントやお祭りの需要が多いんですけど、コロナで中止が相次いで仕事がなくなって、各工場からベテランの職人さんが一気に引退して職人がいなくなってしまったんです。先行きも見えない中で、しばらくは新しい職人も育てられない状況でした。それからコロナが落ち着いて、ようやく需要が回復してきたものの、今度は「職人がいないから染められません」という状況になってしまった。なので、職人を育てて増やすということが一番やらないといけないことだと思っていて、うちも今年3人の職人を入れて育てています。
ただ、一人前の職人になるまでには5年ぐらいかかるので、辞めずに続けてもらうというのも大切で。現場が想像以上に過酷だったり、かつては充分な給料がもらえなかったりというのも原因で、なかなか続かないという業界でもあって。技術的な話とは少し離れますけど、職人が続けていけるような労働環境を整えるために、会社が利益を上げてきちんと経営するのも必要だと思います。今の会長は15年前にそういったことも考えて、自分たちでつくった商品を直接販売していこうとブランドをはじめたんです。
「にじゆら」とはどんなブランドなのでしょうか。
中尾
あえて染料が広がるにじみや揺らぎをデザインに取り入れようということで出来たのが「にじゆら」です。
プリントと同じようなデザインだと、ただちょっと値段が高い手ぬぐいになってしまって売れないと思いますし。そうならないためにも、注染の良さを活かしたデザインというのは大事にしています。同時に、工場見学や体験などを通して、注染ってこんなに手間をかけて染めているんですよ、というのを知ってもらえるような活動もしています。
金子
様々な作家さんとコラボレーションされていますが、それによって、何か感じたことってありますか?
中尾
注染の良いところと、作家さんの個性がうまく掛け合わされて、それまでにない手ぬぐいが出来上がるところですかね。うちのデザイナーたちが好きな人を見つけてきてテキスタイルやイラストレーターの人以外、たとえば陶芸の作家さんとか切り絵の作家さんなどにもデザインをお願いするんです。すると、想像もつかない手ぬぐいが出来上がってきたりして、そういう化学反応が面白いですね。お客さんにも新鮮に捉えてもらえているんじゃないかなと思います。
みんなの「つくる」をまとめあげる
中尾さんにとって「つくる」とは何ですか
中尾
会社の立場としては、みんなの「つくる」をまとめあげて、売り上げをつくっていくことですね。個人としては楽しみで仕方ないというか、ものづくりは好きなので本当は現場の職人の仕事とかめっちゃ、やりたいんです。
それで、いま東京や関西のお店で注染の体験ができるんですが、そこで使う機械をDIYしたんです。職人をやっていないからこそ、初めて体験するお客さんがどうやったら上手に染められるかを考えてつくりましたね。
つくる時に欠かせないと感じてることはありますか。
中尾
人とのコミュニケーションなのかな。ものづくりって一人で黙々とやるイメージかと思いきや、人との会話の中でつくられることって多いと思うんです。
さっきお話しした体験染めの機械をつくったときも、お客さんに実際やってもらって、スタッフが教えるときの不都合がないかを確認してもらったり。自分一人でつくっていたら全然いいものにならなかっただろうと思います。
つくることを通して新たな発見したり、理解したことはありますか。
中尾
職人に対してはあるかもしれないですね。これはさすがにうまく染められないだろうなという難しいデザインが、思っていた以上の出来栄えになったとか。もちろん職人を見くびっているような訳ではないんですが、こんなにやれるんだという気づきがあります。
つくることを通して感情面の変化はありますか。
中尾
うちのものづくりは、もう感情面の変化だらけかもしれないですね。染めました、出来上がりました、失敗しました、っていうことがしょっちゅうありますから。ものすごく綺麗に染め上がってきたら嬉しいですし、感動しますし。そういう感情だらけのものづくりをしているというか、喜怒哀楽は激しいかもしれないですね。
金子
失敗してしまった時の感情にはどう向き合っていますか?
中尾
色んな感情が渦巻きますけど、解消の仕方って切り替えしかないと思いますね。色々言っても次に進めないので「しゃーない(仕方ない)。はい、染め直し。でもこんな失敗したから気をつけてね」という感じで、もう深く悩まない。あんまりこんなこと言うとアレかもしれないんですけれども、注染の職人は繊細だったら多分続けられないと思います。
つくることで何を得られますか。
中尾
当然、売り上げとかはありますけど、自分の居場所でしょうかね。
わたしが会社の社長っていう立場で色々なメディアにも出させていただいて、自分の考えをお話ししたり出来るのも、ものをつくってブランドで発信しているからだと思いますし。デザイナーも職人もそうですけど、自分たちがものをつくるっていうことが自分の存在のあり方というか、結局、自分というものをつくっているように思います。
大阪土産の代表にしていきたい
中尾さんを取り巻く環境や未来についてどう思いますか。
中尾
将来的な展望としては、大阪土産の代表にしていきたいと思っています。
大阪のお土産といえば食べ物とかコテコテ系の物ばっかりで、デザイン性のある工芸品を買って帰ろうってイメージがあまりないと思うんです。でも大阪にはかつて難波の宮などの都があったので、都へ献上するためにつくられてきた伝統工芸品や装飾品などが意外とあって。堺の包丁は有名ですけど、注染の手ぬぐいってまだまだ知られていないので広めていきたいですね。ただ一過性のブームじゃなくて、商品を買ったり、お土産でもらった方が「いいな」と感じて広がっていくような形にしていきたいです。
手芸についてどんなイメージを持っておられますか。
中尾
私のおばあちゃんもよくやっていましたし、年配の人がするものというイメージですね。でも最近、仕事で色々な方とお会いする中で若い人も手芸やっているんだなっていうのも知って。意外と30代の方が多かったりというのは、ちょっと新たな発見でした。うちの手ぬぐいもそうですけど、若い人がもっと手芸を楽しめるようになるといいですよね。
かっこいいと思う手芸道具はありますか?
- 針
好きな手芸の素材はありますか?
- 晒手ぬぐいの素材なので
何かつくっている時のお供は?
- 手ぬぐい汗をかいた時も含めて便利だから
株式会社ナカニ 中尾 弘基
Hiroki Nakao
大学卒業後、電動工具メーカーでの海外営業勤務を経て、義理の父が経営する株式会社ナカニへ入社。2021年、代表取締役に就任。染め工場、手ぬぐいブランド「にじゆら」の経営とともに、注染を広める活動にも尽力している。趣味の釣りへ行くときのお供はもちろん手ぬぐい。
https://nakani.co.jp/ https://www.instagram.com/nakani_dyeing_factory/ https://www.youtube.com/channel/
UCk28K5l9ACFoOgFO2UcLOxw
聞き手:金子
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)
手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。
手芸をやりたいという気持ちは強く、材料は集めるものの・・・(お察しください)手仕事をほどこしたプロダクトや作品、場所が大好き。
編 集:矢野
手芸材料がたくさんある環境に育つ。
つくることが好き。
手芸材料がたくさんある環境に育つ。つくることが好き。