つくるを考えるインタビュー

木彫前田工房 前田 暁彦さんに聞いた「与えられたものを返す行為、埋まっているものを削り出し、国を超えて魅力を伝える伝統工芸」

木彫前田工房 前田 暁彦さん

株式会社木彫前田工房 前田 暁彦さん
Akihiko Maeda
だんじり彫刻師

天神さんで親しまれる大阪天満宮のすぐ近くに木彫前田工房はある。少しレトロで日当たりの良いビルの3階に上がっていくと、広い空間に木を彫る音が響く。幼いころから見ていたお神輿や鉾の飾り、あれは彫刻なんだと今回のお話を聞く前に改めて実感。お祭り好きの血を騒がせながら、前田暁彦さんにとっての"つくる"を伺いました。

※内容は取材当時のものです(取材日 2023/10/02)

僕にとっては大事件

だんじり彫刻師になろうと思ったきっかけは何でしたか。

前田

僕は3歳の頃からだんじりを引っ張っていたんです。小学校3年の時に町のだんじりが修理され、綺麗になって帰ってきたんです。僕にとっては大事件でした。それまでだんじりをつくる人はもういなくて古いものを大事に使い続けるものだと思っていたのですが、だんじりを今でもつくっている人がいることに気がつき、自分もつくりたいと思ったんです。

前田さんの考えるだんじり彫刻の魅力を教えてください。

前田

今にも動き出しそうな迫力、臨場感がだんじり彫刻の特徴ですね。そこに魅了されてやってみたいと思ったんです。だんじりで使う木は樹齢350年から450年。戦国時代から生きてきた木で、豊臣秀吉とかと同世代の木を切って使っているわけです。凄いロマンでしょ。

日光東照宮分霊三日月神輿

日光東照宮分霊三日月神輿

どのような経緯でだんじり彫刻師の道に入られたのですか。

前田

高校卒業時に「だんじり彫刻師に弟子入りしたい」と親にいうと、猛反対。「大学を卒業したら好きにしていい」といわれ、僕自身もだんじり彫刻師のなり方がわからなかったので大学に行くしかないと進学しました。そんな時に僕の参加している町のだんじりの新調が決まり、だんじり彫刻師さんと繋がれたんです。すごく腕の良い職人さんで「弟子入りするならこの人だ」と思いながら、大学の4年間はお客さんとして毎週遊びに行かせてもらいました。

渡辺

見て学ぶために、通われていたのですか?

前田

純粋に遊びに。だんじり彫刻師は中学や高校卒業後に入る世界なのに、自分は4年も遅れているからとブレーキを掛けていました。就職活動もして4年生の時には内定をもらった会社の研修も受けたけど、望んでいない仕事の研修は面白くない。だんじり彫刻師の道を諦めるのは挑戦してからでも遅くないと考え直しました。親方からは「1日でも早く始めないとものにならないし、大学に行く子は採らない」と聞いていたので普通に頼んでも断られだろうと思い、親しくしていた町の人に取り次いでもらい改めて親方に会いに行ったんです。親方から「いつから来るんや」といわれ、「明日から来ます」と伝えました。親方は当初断ろうとしていたらしいのですが、取り次いでくれた方が「とりあえず3年間置いてくれ、ものにならなかったら俺が引き取るから」といってくれたと。親方からすれば当時は猫の手も借りたいくらい忙しかったし、身元引受人が居るのは好都合、僕の「明日から」のひと言が最後の決め手で「よっしゃ」といってもらえました。

絵を描き削るを繰り返し、彫刻が浮き出てくる

絵を描き削るを繰り返し、彫刻が浮き出てくる

だんじりを1台つくるのに、どれくらいの期間がかかりますか。

前田

最低5年。新調が決まるとまず、大工さんが直径1.5m、長さ15mの欅(けやき)の原木を3本買ってきて、3年間天日干しで乾かします。3年経っても完全には乾きませんが、ある程度乾いた状態になったら僕らが彫刻させてもらいます。彫刻に2~3年かかり、大工さんが組み立てて完成です。僕が弟子の時は新調ブームで、どの彫刻師さんも10年先まで埋まっていました。今の問題は、平成の30年間でだんじりをつくりきったこと。だんじりは長ければ100年間使います。令和に入って新調の注文が全くない状態で、今つくっているだんじりが完成すると、だんじり業界的に新調する仕事はありません。

大阪府堺市中区八田壮地区 毛穴町 だんじり

大阪府堺市中区八田壮地区 毛穴町 だんじり

0から1を生み出すのは絵

だんじり制作で1番難しい部分は何でしょうか。

前田

彫刻作業のように思われますが、下絵を描く時が1番頭を使うし1番大事です。0から1を生み出すのは絵なんですよね。絵を描いた段階で、僕らの頭の中では立体に見えていて、彫る時は完成形に基づいて引き算で木を取り除く作業。下絵を考える時は木に合わせたり、お客さんの注文のイメージを盛り込む作業なので、生みの苦しみである下絵を描く前はすごく苦しいですね。下絵を思いつく時は降りてくる感覚ですが、すぐの時もあれば2カ月出ない時もあります。資料を読みながらイメージをつくるまでは普通の彫師だと思いますが、その上を行こうと思ったら自分なりの面白いと思うアイデアを入れないと、自分に頼んで良かったとはならないと思います。だからといってあまり時間をかけ過ぎてもいけない。予算には彫刻代だけで下絵代は入っていないので。予算を食いつぶしているだけになってしまいますからね。

鉛筆でいきいきと描かれた下絵

鉛筆でいきいきと描かれた下絵

下絵のために日々鍛錬されていることはありますか。

前田

働き出してからデッサン教室に通ったり、仕事の後に親方の下絵を模写したりしました。彫って格好良いのは歌舞伎の見得を切るようなポーズ。ある程度絵を描くと骨格の可動範囲がわかってきて、どう描くと格好良くなるかコツもわかります。親方からは「万物が勉強の教材や、全部勉強しろ」といわれ、彫ることになったらどうするかを想像しながら街行く人の表情筋や力の入れ方や筋肉、服のしわや車の特徴を観察しました。当時は頭の中がぱんぱんでしたね。「道具を1日持たなかったら、勘を取り戻すのに2日掛かる」といわれていて、日曜日も道具を触らないと不安になる。資料集めに古本屋を回って戦国絵巻の資料を買い漁り、美術館や神社仏閣では展示作品の技術的な細部を見てへとへとになっていました。身体は道具を触らないといけないし、頭では絵のことを考えるという弟子時代を過ごしましたが、今まで生きてきた間にインプットしたもの全てが下絵づくりに生かされていると思います。

変わっているから100年続く

だんじり彫刻師として今後どのような動き方をされていきますか。

前田

今の僕の使命は自分がプレイヤーとしてやっていくより、だんじり彫刻師の仕事を残すこと。このままだと間違いなくだんじり彫刻師はいなくなります。日本だと30年に1回生活様式が変わるといわれていますが、生活が変わったら伝統工芸もそれに合わせて変わらないと必要なくなります。素晴らしい技術を持っていても変化にのまれてなくなってしまう。これは僕の考えですが、昔からのやり方を守り、変わらない技術を守ることが伝統だと思っている人が多いです。でも僕は続けていくことが伝統になるんだと思います。100年企業は日本が一番多いですが、創業時の仕事をしている会社はほぼありませんよね。変わっているから100年続くわけです。2019年にだんじりの仕事がなくなるとわかったので、その後は海外に挑戦しています。行動したら絶対に次の展開がありますから、まずドバイに行ったことでフランスに繋がり、オランダではデザイナーのキャロル・バーイングスさんと組んでプロダクトやアートピースを作成しました。ベトナムではホテル三日月にお神輿や欄間を納品したり、藤井聡太さんの海外対局戦記念品を納品したりと海外に展開している最中です。

だんじりの上部に付けられる予定の獅子

だんじりの上部に付けられる予定の獅子

なぜ岸和田から大阪市内に移動されたのですか。

前田

僕らの技術はだんじりだけで置いておくものではないと思って、4年前に岸和田を出て大阪市内に来ました。後継者を守るために法人化しようと決めたんです。仕事があったとしても後継者が育たなかったら、業界が途絶えることになる。ビジネスとして成り立たせないといけないし、育成もしていかないと日本の伝統工芸は残らないんです。ものづくりをしたい子はある一定数いると思いますが、その子たちの選択肢に挙がる会社にしないといけない。まだ法人化するくらいの収入がある会社ではないですし、そこが足りないと経営としての手腕を問われていると思いますけれども。大阪市内では新しい人たちと出会え、この仕事を知ってもらい仕事の幅を広げることができた。ありがたいことに国内外へ繋がって、キャロルさんと出会い再評価してもらっているから。販路は絶対広がっていくなという、漠然とした自信がつきました。もっと僕が有名になって知られたら仕事がより広がっていくんだろうというのは見えています。

工房風景

工房風景

オランダと日本で同時展示された作品の制作風景

オランダと日本で同時展示された作品の制作風景

僕の体を使って返しているだけ

前田さんとってつくるとは何ですか。

前田

昔から0から1をつくるのが好きだったし、つくっていく過程も、完成してから人を驚かすのも好き。つくることでやっていける自信がついたのが、弟子入り数カ月後に作品第1号として、親しくしていたおっちゃんに家紋を彫ってプレゼントしたんです。おっちゃんは僕の前で泣き出して「泣き顔を見せたくないから帰ってくれ」って、その後もわんわん泣いていたそうです。後で奥さんに聞いたら「彫刻師になる後押しはしたけど、俺のひと言のせいであの子の人生の歯車が狂ったらどうしよう」と悩んでいたと。そんな時に3カ月彫師を続けて作品をつくるまでになったことが嬉しかったそうです。それを聞いて、自分は良い仕事についたと思ったし人を感動させる仕事を続けたいと思いました。ものをつくれる才能って神様からもらったギフトだと思っていて、人間はみんな何かしら神様からギフトをもらっているんですよ。たまたま僕はつくる才能でした。ギフトを活かせる仕事を見つけられたと思ったし、つくる才能を磨かないと神様に悪いと思ってやっています。僕にとってつくるって、いただいたギフトを僕の体を使って返しているだけという感覚ですね。

力強く木槌でノミを打ち込む前田さん

力強く木槌でノミを打ち込む前田さん

つくる時に欠かせないと感じているものはありますか。

前田

依頼してくれた相手の気持ちです。個人用の置物も受注していますが、なぜこれを注文したのかっていう感情を直接訴えてくれるから、面白いですね。その方が熱意が伝わるし、なんなら予算以上にもしてあげようって気持ちになります。依頼主と関係ができる楽しさもありますよね。でも僕自身が法人化するために腹をくくった部分もあって、会社組織にしたから失ったものもあります。僕が経営者になったことで、世に出せる作品が半分減ります。ホテル三日月の社長に出会った時に「限られている人生で、三日月の仕事を受けてくれたことにお礼がいいたい」といわれ、自分はだんじりの仕事だけをやっていたら駄目だと気付きました。だんじりだけに時間を割いていたら、僕の作品のための時間が取れなくなるし、経営者として会社を成り立たせるための時間もなくなってしまうからです。

つくるを通して新たに発見したり、理解したことはありますか。

前田

この仕事のすごさですね。岸和田の文化として大工さんや彫り師のことはみんなが知っているから、だんじりをつくっている職人止まりだったんですよね。岸和田を出たら、扱いが変わりました。みんなが見たことがないことをやっているから驚かれるんですよ。たくさんの人に見られることによって評価のされ方が変わって、僕らがつくれることは特殊能力で、良い仕事をしているということがわかったんです。僕らの仕事はアートなのか職人技なのか自分たちにも答えはありません。人によっては「アート」、人によっては「職人技」。最近は気にしなくなりました。受け取り手が勝手に解釈してくれれば良くて、僕らは良いもんつくるだけだと。若いころは悩まされました。僕が美術展に出展すると「君の作品は工芸だ」と蹴られ、工芸展に出展したら「アートだ」と蹴られたのに、海外では賞がもらえたんです。僕らの仕事は特に難しいですよね、だんじりとして使うものだから道具と言えば道具だし。

大阪府堺市西区鳳地区 長承寺 だんじり

大阪府堺市西区鳳地区 長承寺 だんじり

つくることを通して感情面の変化はありますか。

前田

感情面の変化はずっと一緒で、つくる難しさは一定にあります。今は生み出す時の苦しみから、経営者の苦しみも増えました。
伝統工芸という枠組みの中だけだと新しく展開するのは難しくて、すごくしんどいですよ。普通の企業さんとは感覚が違うので、経営者の方々とビジネスモデルの話をすると驚かれますし、僕のことを知れば知るほど尊敬と心配、応援してくれますね。喜びは、今までは作品を見てもらって喜ばれることでしたが、今は新しい仕事を生み出せた時の感動もあります。新今宮の星野リゾートでは、宿泊者向けにだんじりと伝統工芸の講座を持たせてもらっていて、宿泊者の人とつながって反応をもらうと木彫りの可能性が広がっているのを肌で感じられます。

感情面の変化とはどのように向き合っていますか。

前田

やらないと仕方がありませんよね。僕が1番嫌いなのは、行動しないこと。行動しないと次の道につながらないから。新しいことへの挑戦が邪魔くさいなとか、挑戦しなくなった時点で引退だなと。子どもの時から僕の取り柄は挑戦することで、周りの人からしたら「なんであんなにしんどいことをするんだろう」と思うことでも、僕の中では楽しみでしかない。失敗し続けていても最後に成功したら、それは成功じゃないですか。だからまずは貪欲にやってみる。何もしなかったことを失敗だと思っているから。やりたいことをやっていこうと逆算していくと、僕の中では時間が足りなさすぎる。だから毎日アクティブに動いている感じですよね。やらないという選択肢はないです。

値打ちが上がるようにしないと僕らの存在意義はない

つくる時の感情で大事にしていることはありますか。

前田

木を大事にする心。だんじりで使う木に限らず、僕らが使う木は先輩です。生きてる木を切って使うから、彫刻するよりも木の原材料の方が値打ちがあったら駄目で、何百年と生きてきた木に対して失礼な話。彫刻することで木に付加価値が付き、値打ちが上がるようにしないと僕らの存在意義はないんです。第2の人生を彫刻物として色々な人に見られるので、木を大切にしないと、罰が当たることになると思います。

必需品であるノミをつくる職人さんも減ってきているという

必需品であるノミをつくる職人さんも減ってきているという

今後のキャリアについての展望はありますか。

前田

会社として今後はアートワーク作品と今までの職人系の仕事を分けつつ、祭りをワンストップでできるようにしようと思っています。町の人口が減っていて責任者の負担が増えていて、祭りを維持していくのも大変です。伝統工芸の主力メンバーは70代。提灯屋さんも絶滅しかけていています。提灯業界は内職のおばさんたちで成り立っていましたが、コロナ禍にみんな辞めてしまいました。それが今、祭りが復活して祭りの責任者が困っているんです。

渡辺

木彫りだけでなく、お祭りという大きな概念でも取り組まれていくんですね。

前田

そうです。これも法人にした強みだと思っていて「木彫前田工房は彫刻と祭りをします」の会社にしようと思っていて、うちに頼めば祭りの準備が全部整う状態にできたら、皆さんが今後楽かなと。そんな会社とアートの仕事を一緒にしたら、ちょっとこの会社は何なんですかってなるから。だんじりの仕事がひと区切りするあたりから方向性を変えていこうかと考えています。

兵庫県神崎郡福崎町八反田区 布団屋台

兵庫県神崎郡福崎町八反田区 布団屋台

今後の環境について考えていることはありますか。

前田

今、考えているのは彫った時に出る木くずを何とかしたいと。オランダは環境への配慮面で進んでいます。環境への取り組みをしていることはPRにもならない。取り組みをしていない会社のものは誰も買わない。木の文化に戻っていて、飛行機のカトラリーも木、ペットボトルがまずない。壁紙や壁の構造も全て再利用品、古着を断熱材にしたり木のチップもコルクにしてビルを立て替えたオランダの銀行を見学した時に「プラスチックをつくっている既存の会社がつぶれたりしませんか?」という質問が出ました。銀行の人は「その会社が生き残りたかったらマインドを切り替えて変わったらいい、そんな甘いことをいっていたら環境なんて守れない」と。それは僕の伝統工芸の考え方と同じだなと思いました。確かに変わらないといけないんですよね。現地の木工所では、チップを積んだ地熱を工場の補助エネルギーにしていたんですね。それはウチが自社ビルの工場にした時にしか使えないからすぐの実現は無理だけど、参考になりましたね。

木彫前田工房では木製雑貨の作品購入も可能

木彫前田工房では木製雑貨の作品購入も可能

金箔龍と銀箔龍、キャロル・バーイングスさんとのコラボレーションプレート

金箔龍と銀箔龍、キャロル・バーイングスさんとのコラボレーションプレート

手芸について、どのようなイメージを持っていますか。

前田

編み物とかミシンを使うことかなと思ったんですけど、手芸店でそろうものが手芸なら、手芸の守備範囲ってなんなんだろうかと。手芸店って何でもそろうじゃないですか。小学校の時に紙粘土でつくったりしたものも手芸なのかなとも思うし。手芸って何ですか?

渡辺

私たちもはっきり答えられなくて、皆さんのイメージをお伺いしているところです。

前田

手の芸ってことは僕らのつくるものも手芸といえるかもしれませんね。

渡辺

手芸というジャンルは幅広いので、そう言えるかもしれませんね。本日はありがとうございました。

かっこいいと思う手芸道具はありますか?

好きな手芸の素材はありますか?

  • ロールの生地お店で切る姿が良い

つくっている時のお供はなんですか?

  • ノミ、木槌ノミをつくる職人さんが居なくなっているのが大問題
前田暁彦さん

株式会社木彫前田工房 前田 暁彦
Akihiko Maeda

幼少期よりだんじりに魅了され、だんじり彫刻師の道へ。伝統工芸の道を守るべく、法人化し、ヨーロッパ、アジアなどで幅広く活動。

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前田さん回答

聞き手・編集:渡辺
手芸初心者。
あらゆる手芸を少しずつかじって楽しんでいる。